2015年01月26日
お笑いやトークのプロ
昨夜、ロンブーの田村淳 氏の対談番組(NHK)を見た。
お相手は、新鋭・デジタル・クリエイター、猪子寿之 氏。
お笑いやトークのプロ、田村淳 氏は、さすがにテンポの良い「しゃべくり」である。
トークのプロではない人が同じテンポで、ぱぱぱっと切り返すのは、無理。
だが、専門分野、光と映像のデジタルクリエイトでの自己表現は、さすがのもの。
淳 氏は、わかりやすい言葉で話してくれて、とても好感が持て、言っていることが理解できた。
小学校でのゲスト講師としての授業も、効果的だったと感じる。
間口の広い、コミュニケーション能力の養い方、コミュニケーションの取り方を
具体的なノウハウを示して、伝える曾璧山中學。
相手がなにを思っているのか、なにを欲しているのか、それをくみ取り、リアクションする。
コミュニケーション能力とは、聞き取る力、伝える力。
耳を澄まして聞き、理解しやすく噛み砕いて、伝える。
自分がいったい何を思い、感じているのか、意識していない人も、
相手がそれを読み取り、相手からのリアクションを受け、
はじめて自分の思いを再認識でき、しかも受け取ってくれ、心地よさを感じるかも知れない。
双方が、心が通う瞬間だ。
かたや、デジタル・クリエーター 猪子寿之 氏は、感性で伝える。
口や言葉ではなく、行動や、直接、脳や心に働きかける。
現在の広告は、ひと昔前と違うという。
飾ったもの、表面だけに現れた部分の質を上げたもので、人々の興味や共感を得るのではなく、
本質そのもので、伝える電動桌。
他者からの押し付けではなく、自分で感じてもらう。
口下手の人が、自分のことを言葉でうまく伝えられなくても、
別の、例えば、音楽や絵画、得意分野や好きなこと、創造したもので伝える。
無意識の深層感性で嗅ぎ取ってもらう。
淳 氏が「人の心を読み取って、求められるリアクションをする」、というスタンスに対して、
猪子氏は、「自分が面白いと思ったものは、人も面白いと思うに違いない」、と、
相手ではなく、自分に軸がある。
この考え方は、わたしと同じだ。
が、わたしの場合、人の心も気になる。
自分の感性や能力に、そこまで絶対的な自信がない。
そして、受け入れられるかどうか、バランスを考える。凡人だから。
自分は面白いと思うけれど、人は思わないかも知れない。
そこらあたりが、まったくのズブの素人、一般市民。
しかしながら、能力に秀でた人は、多くの人々の賛同、共感を得る。
ただ、一過性のものは、単なるブームである。
一発屋でなく、持続させるのが困難であるが、ひとつの時代を築き上げるだけも、たいしたものだ。
裏打ちされた努力や、研究、技術開発も必要だ。
国際化、情報化が謳われて、かなりの時間が経過した。
今の若手にとっては、インターネットは日常の風景であり、おんぎゃあと生まれたときからパソコンは、生活の一部。
そういう彼らの考え出すことは、(意外に)電動桌、現実にとらわれず、夢があったりする。
既成概念にこだわらないモノづくりに対して、
わたしは、ほほぅっと、業界のドン老人のように目を細め、うなずいた。
淳 氏の、まじめに取り組む、コミュニケーション能力も、不可欠で素晴らしい。
(ひとつの道を長く歩いていると、試行錯誤し、そこそこ考えは集約される。
41歳にもなれば、ある程度のものごとは、見えてくるだろう)
が、それにさらに加えて、
クリエーターの創り出すものには、ぽ~っと開いた口がふさがらない感動を覚える。
(実際に現場でリアル体験していないが、想像するに)
創造性というものは、生み出すにはかなりのエネルギーを必要とする。
自分に対しての欲求を受け取りCellmax 科妍美肌再生中心、お返しする、淳 氏と、少し似ているが、似ていて非なるものである。
どうだ!!と、無から投げかける能力は、受けて返すのとは違う。
が、スポンサーがいなくては、仕事にならないし、単なる自己満足になる。
需要と、供給。
自己表現と、影響。
淳 氏と、猪子 氏。
面白い対比になった。
お相手は、新鋭・デジタル・クリエイター、猪子寿之 氏。
お笑いやトークのプロ、田村淳 氏は、さすがにテンポの良い「しゃべくり」である。
トークのプロではない人が同じテンポで、ぱぱぱっと切り返すのは、無理。
だが、専門分野、光と映像のデジタルクリエイトでの自己表現は、さすがのもの。
淳 氏は、わかりやすい言葉で話してくれて、とても好感が持て、言っていることが理解できた。
小学校でのゲスト講師としての授業も、効果的だったと感じる。
間口の広い、コミュニケーション能力の養い方、コミュニケーションの取り方を
具体的なノウハウを示して、伝える曾璧山中學。
相手がなにを思っているのか、なにを欲しているのか、それをくみ取り、リアクションする。
コミュニケーション能力とは、聞き取る力、伝える力。
耳を澄まして聞き、理解しやすく噛み砕いて、伝える。
自分がいったい何を思い、感じているのか、意識していない人も、
相手がそれを読み取り、相手からのリアクションを受け、
はじめて自分の思いを再認識でき、しかも受け取ってくれ、心地よさを感じるかも知れない。
双方が、心が通う瞬間だ。
かたや、デジタル・クリエーター 猪子寿之 氏は、感性で伝える。
口や言葉ではなく、行動や、直接、脳や心に働きかける。
現在の広告は、ひと昔前と違うという。
飾ったもの、表面だけに現れた部分の質を上げたもので、人々の興味や共感を得るのではなく、
本質そのもので、伝える電動桌。
他者からの押し付けではなく、自分で感じてもらう。
口下手の人が、自分のことを言葉でうまく伝えられなくても、
別の、例えば、音楽や絵画、得意分野や好きなこと、創造したもので伝える。
無意識の深層感性で嗅ぎ取ってもらう。
淳 氏が「人の心を読み取って、求められるリアクションをする」、というスタンスに対して、
猪子氏は、「自分が面白いと思ったものは、人も面白いと思うに違いない」、と、
相手ではなく、自分に軸がある。
この考え方は、わたしと同じだ。
が、わたしの場合、人の心も気になる。
自分の感性や能力に、そこまで絶対的な自信がない。
そして、受け入れられるかどうか、バランスを考える。凡人だから。
自分は面白いと思うけれど、人は思わないかも知れない。
そこらあたりが、まったくのズブの素人、一般市民。
しかしながら、能力に秀でた人は、多くの人々の賛同、共感を得る。
ただ、一過性のものは、単なるブームである。
一発屋でなく、持続させるのが困難であるが、ひとつの時代を築き上げるだけも、たいしたものだ。
裏打ちされた努力や、研究、技術開発も必要だ。
国際化、情報化が謳われて、かなりの時間が経過した。
今の若手にとっては、インターネットは日常の風景であり、おんぎゃあと生まれたときからパソコンは、生活の一部。
そういう彼らの考え出すことは、(意外に)電動桌、現実にとらわれず、夢があったりする。
既成概念にこだわらないモノづくりに対して、
わたしは、ほほぅっと、業界のドン老人のように目を細め、うなずいた。
淳 氏の、まじめに取り組む、コミュニケーション能力も、不可欠で素晴らしい。
(ひとつの道を長く歩いていると、試行錯誤し、そこそこ考えは集約される。
41歳にもなれば、ある程度のものごとは、見えてくるだろう)
が、それにさらに加えて、
クリエーターの創り出すものには、ぽ~っと開いた口がふさがらない感動を覚える。
(実際に現場でリアル体験していないが、想像するに)
創造性というものは、生み出すにはかなりのエネルギーを必要とする。
自分に対しての欲求を受け取りCellmax 科妍美肌再生中心、お返しする、淳 氏と、少し似ているが、似ていて非なるものである。
どうだ!!と、無から投げかける能力は、受けて返すのとは違う。
が、スポンサーがいなくては、仕事にならないし、単なる自己満足になる。
需要と、供給。
自己表現と、影響。
淳 氏と、猪子 氏。
面白い対比になった。
Posted by 戻れない昨日 at
16:22
│Comments(0)
2015年01月19日
確かに四十年以上前
自分で書いておきながら、どうもピンと来ない処がある。
それが何処かというと前記事最後の一節 ”四十年以上前に蔑んでいた「ただの人」になった今、自分はそれで良かったとおもっている” って文章……。これは取りようによっては四十年以上前は如新nuskin產品、わたしは「ただの人」では無かったようにも受け取れてしまう。そこん所がどうもいけない。そう取られては目がテンになってしまう。参った。
ぜんぜん違う記事を書こうとおもっていたのに気になってしょうがない。仕方ないからその辺を書く。(笑)
確かに四十年以上前、十七才から十九才の頃は「自分は人とは違う何か特別な存在である」と考えていた。しかし特別な所は何も無く、極々普通の高校生だった。強いて言えば学校帰りに本屋でアルバイトをしていたことと、英語の勉強の代わりにフランス語を学習していたことぐらいなのだが、そんなのは特別な内には入らない。そんな学生はいくらでもいた。
それでも「特別な存在」と自分を位置づけていたのは、若者の特徴でもある自身の才能への根拠の無い自信と、そう思っていなければ呑み込まれそうな、将来への不安に対する気持ちからだったのだと思う如新集團。
才能?
そう、わたしは詩人を夢見ていたのだ。ランボウばりの散文を書き散らし、アポリネールやコクトー風の四行詩をものしては一人悦に入っていた。
寺山修司に嫉妬し、谷川俊太郎をせせら笑い、中也を否定し、自分こそが真の詩人であると思って疑わなかった。
馬鹿である。
あ~、恥ずかしい。
恥かきついでに書けば、当時は何やら難しげな本を読み耽りnu skin 如新、バスや電車の中にあっては、時に本から目を離せば辺りに居るサラリーマンやOL学生に憐憫の情の混じった蔑みの目を向け、「哀れな奴等め、真理の何たるかも考えずに無為に日を送る豚共め」などと胸の裡で呟いたりもしていた。
ああ、これこそはどの時代にも居る、憧れだけを胸の裡に膨らませ、なにひとつまとまった仕事を成し得ない「ただの人」の姿である。
当時も今もずっと変わらぬ「ただの人」、それがわたしであるcellmax 科妍美肌再生中心好唔好。(泣く)
そんなこと分かっていたって!?
そ~お~~っ?(笑)
それが何処かというと前記事最後の一節 ”四十年以上前に蔑んでいた「ただの人」になった今、自分はそれで良かったとおもっている” って文章……。これは取りようによっては四十年以上前は如新nuskin產品、わたしは「ただの人」では無かったようにも受け取れてしまう。そこん所がどうもいけない。そう取られては目がテンになってしまう。参った。
ぜんぜん違う記事を書こうとおもっていたのに気になってしょうがない。仕方ないからその辺を書く。(笑)
確かに四十年以上前、十七才から十九才の頃は「自分は人とは違う何か特別な存在である」と考えていた。しかし特別な所は何も無く、極々普通の高校生だった。強いて言えば学校帰りに本屋でアルバイトをしていたことと、英語の勉強の代わりにフランス語を学習していたことぐらいなのだが、そんなのは特別な内には入らない。そんな学生はいくらでもいた。
それでも「特別な存在」と自分を位置づけていたのは、若者の特徴でもある自身の才能への根拠の無い自信と、そう思っていなければ呑み込まれそうな、将来への不安に対する気持ちからだったのだと思う如新集團。
才能?
そう、わたしは詩人を夢見ていたのだ。ランボウばりの散文を書き散らし、アポリネールやコクトー風の四行詩をものしては一人悦に入っていた。
寺山修司に嫉妬し、谷川俊太郎をせせら笑い、中也を否定し、自分こそが真の詩人であると思って疑わなかった。
馬鹿である。
あ~、恥ずかしい。
恥かきついでに書けば、当時は何やら難しげな本を読み耽りnu skin 如新、バスや電車の中にあっては、時に本から目を離せば辺りに居るサラリーマンやOL学生に憐憫の情の混じった蔑みの目を向け、「哀れな奴等め、真理の何たるかも考えずに無為に日を送る豚共め」などと胸の裡で呟いたりもしていた。
ああ、これこそはどの時代にも居る、憧れだけを胸の裡に膨らませ、なにひとつまとまった仕事を成し得ない「ただの人」の姿である。
当時も今もずっと変わらぬ「ただの人」、それがわたしであるcellmax 科妍美肌再生中心好唔好。(泣く)
そんなこと分かっていたって!?
そ~お~~っ?(笑)
Posted by 戻れない昨日 at
16:27
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